服は皮膚の延長線上だと、岸恵子さんのスーツ姿から教わる。

昔から、ダンサーさんが “衣装っぽくない” 格好で踊っている場面や姿に惹かれる事がある。


もちろんバレリーナの人がクラシックなコスチュームで踊るのも美しいのだが、
彼ら(バレエだけでなくいろんな種類のダンスの踊り手の方)の様に身体能力の高い人が
普段着というか、さらっとレッスン着とか、とろんとしたワンピースでスッと踊る・動く光景に
「おー・・・」と(理由はわからないけれど)非常に惹かれる。


日常的な服での舞いの方が、美しく鍛えられ、日常とは離れた身体表現が
より際立って自分に感じられるのだろうか?




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何年か前、市川崑監督の『黒い十人の女』と言う映画のポスター写真で岸恵子さんのスーツ姿を見た時、

「スーツってこんな風に着るものなんだ、、
そして、服と言うのは皮膚の延長線上なんだ・・・」

と軽く衝撃を受けた。


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なぜ彼女がこういう着方ができるのか、なぜ彼女の姿に自分がこう感じるのか・・・?




まず自分の身体の輪郭に意識的である人、
自分の身体に(輪郭にまで)意識が満ちている人が
その上に纏う布(服)をも、自分のものとして取り込むこと(自分との自然な一体)ができるのだろうか?

そう考えると、最初に書いた「普通っぽい服で踊るダンサーさんの姿に惹かれる」感覚というのは、
日常の服を、その高い身体意識で(ふつうの我々が服を着たときにはできない)
自分の皮膚のように扱えている非日常さ・美しさに惹かれているという事でもあるのだろうか?


纏っているものを皮膚的な服(布)にしてしまう踊り手。



(布が体にのっている時のよそよそしさ。

あるいは

皮膚のようになじませてしまうこと。


ーその違いは着ている本人のからだに対する意識の違いなのか。)




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まだ頭のなかでぼんやり浮かんでる状態の事を書いてしまうと、


求心力と言うものが低かったり弱いと(求心力と言っても自分の中でも漠然としてるので、何を指しているのか説明できずにごめんなさい・・・)
どんどん自分の輪郭や肌は自分から離れていく気がする。自分の身体が遠い。

求心力が高い人は自分の輪郭も肌も統制し(?)、しっくり自分のものとして身体と自分自身を近く親密に持っているんじゃないか?・・・
と、そんな考えが浮かんだ。

多分私が惹かれる身体表現者の人は後者なのだろう。
そしてそういう人は、身にまとう衣装、布、服さえも自分の皮膚のような魅力にできるのだろう。



( 唐突に関係ない話かも知れないが、
高度な身体操者が服をも皮膚的に取り込んでしまうのではと思った時、昔に読んだ本で、

ーイチローは、
ピッチャーが球を放った瞬間から、ボールを自分の領域・自分の空間のものとして感じている(自分の側の世界(空間やタイミング)としてとらえ始めている)のではないかー


というような事が書かれた一説を思い出した。・・・関係なさすぎだろか。。。)



今日の考察はこのあたりで・・・・





voici
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by voicivoila | 2013-05-31 20:57 | カラダ・ブタイ・デザインログ | Comments(0)
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