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資生堂のコピー

資生堂が何年か前にうち出したコーポレートコピー。




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初めて見かけたのは、人との待ち合わせか何かで夕方の銀座を急いでいる時だった。


地下道の柱に貼られたポスターの、その横を小走りに過ぎた時 そのコピーが目に飛び込み、
「あぁ 資生堂。 いいコピーだ。」 と通り過ぎた後もすこし目で追っていた。



よいコピーは瞬時で深く心に入る。


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いくつかのビジュアルでも謳っているようで。

岸恵子さん、美しい。 





最近、資生堂のTVCMでも、最後にこのコピーが現れるのを見て
ああ、CMでも使うようになったのか、と。
でもTSUBAKIのCMでは流れていないので商品やブランドによって違う様。


資生堂の精神を謳うすばらしいコピーなので、もっと流せばよいのに。とおせっかいながら思う。







:::: 余談 ::::


岸恵子さんが出てきたので一言。

もはや服は皮膚の一部なんだ
と教えてくれたのはもう何年も前にお見かけした
岸恵子さんの古い写真だった。
こんな風に服を着る日本人がいるんだと。

それは、またの機会に書きたいと思う。




voici
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by voicivoila | 2013-03-27 13:25 | 日々のログ | Comments(0)

春の夜、吉祥寺。 初めての大駱駝艦。 

わたし名づけてギャッツビー3兄弟。
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今回の舞台で一番気に入ったかも・・・。 (記憶で描いてみました)






この週末、初めて観にいった大駱駝鑑@吉祥寺。

大駱駝鑑と言えば、何十年も前の学生の頃からその名は知っていましたが
舞踏、というものにまったく門外漢なもので、、、
当時読んでいたサブカルチャー誌などでたまにその名前をお見かけした限りでのイメージは
「なんだか白塗りの人たち・・」「前衛舞踏っていうジャンルなの? 暗黒舞踏っていうの?」
「60年代とか70年代の地下っぽい感じ・・・」「ちょっと怖い」
などと言う感じを持ったまま、経験することなく過ぎて来ていました。


で、今回、
先日観にいった「フランシス・べーコン展」で土方巽氏の映像を見たのがきっかけとなり
&、ベーコン展に行かれた方が大駱駝鑑の舞台も観にいってとても良かった、と言われているのをネットで伝え聞き
今ちょうど公演をやっているのなら行ってみよう! と触手が動き、たぶんチケット売り切れ寸前、ギリギリなタイミングでチケットを取り
週末に吉祥寺に繰り出したのでした。

とはいっても漠然としたイメージのほかには大駱駝鑑にたいする予備知識が無かったので
どんな舞台なんだろう?というちょっと恐々な思いも持ちつつ小屋に入り。

ギューギューに詰った客席。
暗転からの始りは、白い柱のように舞台に立つ白塗りの男たちの動き。

これを見た時、まえからちょっと思ってたこと、「身体って、動くだけで事件だしイベント」って言うのが
やっぱりそうなんだと思わせられ。

演者の方たち(今回の公演は全員男性)は基本的に、小さな布を腰にまとうほかは裸体の白塗り。

進む舞台を見ながら、
裸って、裸だからこれ以上表現のそぎ落とし様が無いと言うか、飾りなしのむき出しだなと思ったり
いや逆に裸体に白塗りは強い衣装なのかな?と思ったり。

広くない舞台に広げられる空間、縄をつかったり紐をつかったりの構図・展開はすごくて、
ひとつひとつの場面はとても説明できないけれど・・・・、これ考えた人、凄い。 と。


見ながら
えっ、これこのキャパシティーで(私が行った回は70人弱で満員)、今回は12回だけの公演??
こんなすごい舞台がそれだけで終わり? それだけの人数のひとしか見れないの?

これ、パリとかNYとかでも普通に公演が行われるべき舞台だよね???
て言うか、えっ、もっと国内・海外あわせて多くの人に見せないともったいないよね???

というのが素朴な疑問がわきあがる素晴らしい舞台・・・・


あと、見ながら意外だったのは、ー意外というのは私が勝手に持っていた先入観とちがっていたのは、
まず音楽をこのようなテクノというかポップなものを使うんだ! ということ。
実は今回、この公演を観にいってみようとおもったひとつは音楽に坂本美雨氏の名前があったことも。
大駱駝鑑に坂本美雨? という興味もありました。

ーそして舞台にコミカルな要素もあるんだ、ということ。
まさかまさか大駱駝鑑をみてプッと笑う場面がたびたびあるとは思いもせず。
(なにしろ初めてみたので、今回の公演がそういうものだったのかも知れませんが。)

音楽から感じたポップ性。その音楽の種類と舞台の展開に、
表現がまったく違うジャンルだけどシティボーイズの舞台がよぎる瞬間もありました。



ーそして動く男の人たちの、特にかがみこんで背中を動かす場面ではその肩甲骨の動きの美しさに驚き。
美しく動かせるひとはこんなに美しく身体を、部位を動かせるんだと。


(余談になるが、
昔、舞台『黒蜥蜴』を観にいった時、若い役者もたくさん出ていたのだが一番美しい背中、その若い背中の表情に驚いたのが
麿赤兒氏と美輪明宏氏の背中だった。 舞台に立つ人、身体を使う人の凄さを感じた一瞬だった。)




: : : : : : : : : : : : : : :



観にいって良かったです。終わり間際にぎりぎり見に行けたわけですが。
フランシス・ベーコンからの流れに感謝。

と、ここまで書いてこの公演の説明をしていない事に気づく。
(今回の舞台は昨日の日曜日で終ってしまいましたが。)



大駱駝鑑 壺中展公演
『忘れろ、思い出せ。』

2013/3/15(金)~3/24(日)
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振鋳・演出・美術:  
村松卓矢

監修:
麿 赤兒

鋳態:
村松卓矢 田村一行
松田篤史 塩谷智司 奥山ばらば
湯山大一郎 小田直哉 小林優太



(ちなみに私が最初に描いたギャッツビー3兄弟は、パンフレットの表題では 「暇な男たち」 となっております。センスの良い表題だー。)




それで今回は男性演者のみでしたが、
5月には女性が主に出る舞台があるそうで。


大駱駝鑑 壺中展公演
『ヨウヤ ヨウヤ』

2013/5/20(月)~5/26(日)

振鋳・演出・美術:
梁鐘譽

監修:
麿 赤兒

鋳態:
梁鐘譽 塩谷智司 奥山ばらば 湯山大一郎
藤本梓 伊藤おらん 岡本彩 西森由美子 三田夕香


ぜひ観に行きたいと思います。


それにしても
この春はいろんな展覧会や舞台、そこで出会うものからの刺激の多い
いい春になっています。


voici
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by voicivoila | 2013-03-25 19:02 | カラダ・ブタイ・デザインログ | Comments(0)

土方巽の身体。自意識からの解放。フランシス・ベーコン展(その2)

東京は今日が桜の満開だと言う。

日中の外出で近所の川沿いの桜並木を見てきたが、麗らかな陽気に見事な爛漫だった。


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日本人の心が浮き足立ってしまう日のひとつ。



* * * * * *


前回の記事に続き、続・フランシス・ベーコン展。


ベーコンの作品が静かに続く部屋をいつくか通って行く。

ベーコンの間、絵の前を暫く進み

ーと書いたが ”絵”という言葉には違和感がある。ベーコンの作品は二次元ではあるのだが
その大きさと描かれているものの力から、一枚一枚が生身の人間がそこで動いている、また佇んでいる舞台であり
劇であり、場であるように感じるー



いくつかの間を抜けてある部屋に入ると、奥のほうから静かな曲のようなものが聴こえて来る。

そこでもゆっくりと作品を見ながら進んで行くと
奥の一角の壁に白黒のうごめくものが映写されていた。

それが私が初めてみた 土方巽 だった。

このベーコン展において、フランシス・ベーコンから影響を受けた舞踏家のひとりとしてその映像が展示されていたのだ。

この人もまた、私には ーうっすら名前は聞いたことがあるー ぐらいの人であった。


(土方巽 Hijikata Tatsumi 1928/3/9 - 1986/1/21 
舞踏家、振付家。 暗黒舞踏という新しい舞踊形式を確立した人らしい。

* 暗黒舞踏 = 現代舞踏(≒コンテンポラリー・ダンス)、または前衛舞踏の様式で前衛芸術のひとつ )







そこに映されていたのは彼の舞台 ”疱瘡譚 Hosotan”からの白黒映像の一部である。

映像の前にはいくつかの小さなベンチ。
そこに腰掛ながら初めての土方巽を経験する。

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遠く、包まれる様な穏やかな音楽にのせて
眼に入るのは音楽と対極にある様な異形の人間の世界。






舞台上の彼を見て、まず思ったのは
「この人からは、なんでこんなに自意識が感じられないのか?」という事だった。

たまに舞台や映像で見かける現代舞踏、
そこからはその人の身体能力の高い・低いより先に、まず前面にその演者の自意識が感じられる事が多い。
それが大きいとなんと言うか見てる私が恥ずかしいと言うかそれが意識される事が壁となり、
彼(彼女)が本来表現したいであろうことにたどり着かない感が多々ある。

て言うか(私が遭遇する、少ない機会の現代舞踏ではそういう事が多いので)舞踏ってそういうものだと言う印象が勝っている程。

(例外では何ヶ月か前にDVDで見た見たピナ・バウシュ。彼女の身体、表現はあきらかに特出しているものだ。)


土方巽(またはピナ・バウシュの様な優れた表現者)からは、まずその表現が感じられるのだ。小さな自意識などから遠く離れて、
世界、彼らの表現したい世界がまずあり、見るものはそれに出会う。

身体能力とか技術とか、そのようなものよりまず先に表現が見るものの前に現れる。
身体をどう動かすかという技術は、そもそも表現のためのものだ。表現のための技術。

でも現実には表現より技術が勝っている人が多いのだろう。技術や「私がこうしたい」「こう動いている」という自意識。
それが勝っていると見るものはそこから先へは進めないのだ。



****************


そして次に土方から感じたのは、
この異形のかたちであるのにかかわらず(ありていに言えばその風貌からグロテスクだったりするのに)
映像から感じる清々としている静けさ。静謐。 

それは何故? という事。

それは音楽のせいかも知れない。

彼がこの異形のパフォーマンスに選んだのは "Bailero" Chant d'Auvergne『バイレロ』オーヴェルニュの歌 。

もともとフランスのオーヴェルニュ地方に昔からあった農民の民謡を、地元オーヴェルニュ出身の音楽家が管弦楽団とともに再編成したものらしい。


その農民の生活に根ざした優しい歌と旋律と、土方の異形が相俟って
不思議な安らぎ、母親から与えられるのような安らぎ、赤子が全存在を母の中に置いているような安らぎを覚える。


彼の纏う衣装、彼の風貌、それだけを見るとそれは観る者に精神の、情緒の不安定しか与えないようなものなのだが
見終わった後の不思議な安らぎ。
この曲を、この舞踏に選んだ土方巽はどのような表現をしたかったのかは分からないが、その意識は非常に惹かれる。

彼の衣装は誰が考えたのか。かれの髪は。

その身体と皮膚の感覚を知りたくなるパフォーマンスの高さ。





展覧会場には土方巽が書いた直筆の舞踏の譜面? 舞踏譜も展示されていた。

舞踏に譜面があったというのも初めて知るが
そこに書かれた文字、

「顔の部分と腰の部分に偏執的にザラっとこだわる」

「組まれた脚の気化、顔の気」

などを読むと、

彼の常人にあらぬ身体意感覚が伺えて非常に興味深い。


* * * * * * * * * * * * * *


そしてもう一人、ベーコンから影響を受けた舞踏家としてウィリアム・フォーサイスのインスタレーションが
展示最後の部屋に表されていた。
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コンテンポラリー・ダンスとして彼の名は見聞きしていたが
この映像も興味深かった。

映像と言うより、そのスクリーンと空間の構築。

今回の展覧会の企画者、キュレーターの方の意識が高いのだなと思うその展示。

それは言葉で言うよりぜひその場で体験してほしい。





この春、この展覧会から感じたものは
まだおさまらず。


まだ自分の中で書き足したい。
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by voicivoila | 2013-03-22 20:28 | カラダ・ブタイ・デザインログ | Comments(0)

フランシス・ベーコン展 、その舞台性。 (ベーコン展・その1)

感じるものが大きいとアウトプットが難しくなる。



先週から東京国立近代美術館で始まった「フランシス・ベーコン展」を観にいった。

見に行って何日か経つが、そのとき受けたものは私の中でまとまらず 一日一日とまだ拡がっている最中で、

しかし自分の中の覚書としても書きたい欲求があるので、今の段階でとりとめないかも知れないが綴ってみる。





フランシス・ベーコン(FRANCIS BACON)。


私は今回の展覧会に行くまでほとんどこの芸術家に対する知識は無かった。

名を聞けば、 そういう名前の現代芸術家がいるなぁ、という程度。


フライヤーの文章を引用すると-
フランシス・ベーコン(1909-1992)はアイルランドのダブリンに生まれ、英国のロンドンを拠点に活躍した世界的な画家です。同姓同名の哲学者の、傍系の子孫とも言われています。




先入観も知識もなく展覧会に入り、彼の作品と対峙する。




その作品群を見ていく内に、その絵は非常に ”舞台的” であると感じる。

舞台の上の肉体、見せるもの、見られるものとしての肉体。



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(見せる、見られると書いたが、それは他という、観客という視線が存在しているのか
ベーコン自身からの視線に対してのイメージなのかはわからないが。)



そしてあらためてその日のフランシス・ベーコンを自分で解かったのは、
ベーコン展の部屋を出てから、近代美術館内の他の会場で催されている別の企画展の展覧会にも寄ってみた時である。

そこに入った時、何か寛いでいる、ほっとして気が緩んで日常の自分になっている自分に気づいた。


そこで初めて、
先程までのベーコン展の空間に居る事がいかに自分を緊張させ、その非日常性が自分に圧をかけていたか気づいた。

ベーコン展に生身のフランシス・ベーコンは居ないが、
彼の作品はその2次元の作品だけで、その前に立つ人間にひどく緊張を強いるほどの緊迫感をもたらす。




・・・昔々、何かのTVだかで聞いた話で、すっかりうろ覚えなのだが、
水に音楽を聴かせると(?)、音は波動なので水の成分(組織)に影響をあたえる・・・とか? 

そんな番組を見たことがある。 その様な事が本当かどうかはそちら方面の科学的知識のない私に真偽のほどはさっぱりなのだが、

今回、目の前に立ったベーコンの作品はそんな話を思い出させるような

人を緊迫させる作品は、目の前に立ち、その作品を見る者の身体の組織を、
たとえばごく小さな細胞内の何かを、微細に組み変える様な力を有するように感じる。




そして、この展覧会では、
ベーコンの作品と並んで、ベーコンがその身体性で影響を及ぼした人物たちの作品
ひとりは土方巽、そしてもう一人はウィリアム・フォーサイスという舞踏家たち― 
も並列されていて、私は個人的にそちらにもより大きい驚きを受けたのだが、それはまた次回に書きたい。


本当に受けるものが大きいと、自分のなかでもそれは日々増殖し続け、書くことなどなかなかできないものだ。
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by voicivoila | 2013-03-15 23:28 | カラダ・ブタイ・デザインログ | Comments(0)

フランシス・ベーコン展を訪れる。なかなか書き始められない。

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フランシス・ベーコン展に行ってきた。

行ってきた、

それは感じた事が大きく、書きたいけれどなかなか書き始められない。


でも待ってもまとまることなんて来そうもない。   そろそろ書こう。
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by voicivoila | 2013-03-14 13:21 | カラダ・ブタイ・デザインログ | Comments(0)